NARUTO
〜九妖忍法帳〜 32話目




―7年前、霧隠れの里にて―

年中深い霧に覆われた山間の集落。

侵入者を拒むその様は、まさしく天然の要塞と称するに相応しい。

そんな霧の里に、けたたましい警鐘の音が鳴り響いていた。

あちこちから凄まじい勢いで火の手が上がり、忍達は怒声を飛す。

この日、自国の忍による内乱が起きた。

霧の上層部は暗部や上忍に緊急召集をかけ、直ちに事態の収拾を図った。

「騒ぎの首謀者は暗部所属【桃地 再不斬】。
 水影様に手傷を負わせ現在逃亡中だ。
 既に暗部四小隊を追い手として走らせているが、依然として行方が掴めない。
 よって増援部隊としてお前達にこの任務に就いてもらう。
 尚、警護に就いていた数名の忍が殉職している・・・心して任に当たれ!」

『ハッ!』

即座に散開する忍達の中には、この時特別上忍だった【睦月 雪】の姿もあった。









―山道―

煤けた茶色の壁伝いに、狭い小道が螺旋を描くように続いている。

滅多に人が通らない道は、人一人通るのが精一杯の幅しかない。

崖下は風雨に曝されて角を帯びた岩が、無数に乱立している。

誤って下を見てしまおうものなら、普通の人間は目が眩んでしまうだろう。

だが断崖絶壁を駆け抜ける雪の動きには、僅かな陰りすら見受けられなかった。

鋭く尖った岩の先端を足場にして、軽い身のこなしで先を急ぐ。

再不斬の気配が近くなるにつれて、胸の内に様々な想いが渦巻き始める。

雪が生まれた家・・・・・・睦月家は、超常の系譜に連なる血族。

初代水影の時代から有能な忍を数多く輩出してきた。

睦月家の血継限界は、【鉄心】と呼ばれる特異体質である。

外部からの精神干渉を一切受け付けず、幻術に対して絶対的な耐性を誇る体。

例えそれが秘伝や禁術であろうとも、幻術である以上鉄心を破る事は不可能。

事実、睦月家の戦いの歴史において、幻術使いに不覚を取ったという記録はない。

戦が起これば常に先陣を担い、一族の力を敵国の忍達にまざまざと見せ付けた。

異端な能力を血に宿す家系にも拘らず弾圧から逃れられたのは、霧の里を戦火から守り抜いた功績が認められたからだろう。

戦の度に手柄を立てることで、睦月家は里中に確固たる地盤を築き上げたのだ。

そして忍界大戦の最中。

睦月一族の末端の分家に、雪は生まれた。

異能の血族でありながら、何の能力も持ち得ない忌み子として。









―雪、10歳―

雪は両親から笑顔を向けられた事がなかった。

父も母も、愛してはくれなかった。

二親が愛したのは、睦月の能力を受け継いで生まれた妹と弟。

雪は自分の存在価値が分からなかった。

孤独で、死にたくなるような毎日を過ごした。

一族から睦月の名を汚したと罵られ、同郷の忍達からは血継限界の一族として畏怖された。

護ってくれる者は誰も居ない。

人の心に触れる事の出来ない幼少期。

成長した雪の心は、酷く冷めたものになっていた。

睦月の力は継げなかったものの、幸い忍としての能力は優れていた為、アカデミーには通う事が出来た。

入校して2年で全課程を終了させ、下忍選定試験に一度で合格。

再不斬の引き起こした惨劇によって、血生臭い殺し合いは廃止されていたので、教官を相手にした模擬戦闘をクリアして忍の資格を得た。

そしてアカデミーを卒業した雪は、単純な任務を数回こなし戦場に立った。

無論前線での戦闘ではなく、後方支援部隊への物資の補給任務。

雪を含む新米の下忍達は、数名の上忍が指揮する下、可能な限り戦闘を避けた進路を進み物資を運搬していた。

だが中間地点に差し掛かった時、予想外の襲撃に遭ってしまった。

草叢から10人以上の忍が飛び出し、不意を衝かれた上忍達は手酷い傷を負ってしまう。

「うわぁあああっ!!」

「く、来るなぁ!!!」

錯乱した下忍達が我武者羅にクナイを投げるが、いとも容易くかわされている。

しかし、雪だけは異彩を放っていた。

迫り来る敵を冷淡な視線で見据え、両腕を交差する。

その双手は黒い革手で覆われており、五指の第一関節にそれぞれ、精巧な模様が刻まれた銀色の指輪が通されていた。

刹那、交差した両腕が外に広がる。

すると両手両足の腱を断たれた敵が、噴出した血によって全身を赤に染める。

指輪の内側には、細い鋼糸が仕込まれていた。

下忍と侮らず注意を払っていれば、見破る事が出来たのかもしれない。

四肢を裂かれた男は、後悔する間もなくクナイの的にされ、血の海に沈んだ。

敵に動揺が走る。

それが致命的な隙を作り出した。

【斬法 五月雨】

鋼糸が煌くと同時に、数名の動脈に鋭い切り口が走る。

雪は血飛沫の合間を駆け抜け、敵の指揮官を目指す。

下忍と上忍の能力差を埋める手立ては、心理的な隙に付け入る他ない。

敵に気構えが出来上がってしまえば、たちどころに勝機を逸してしまう。

殺るなら今。

敵の心から油断が消え去る前。

鋼糸の間合いに入った瞬間、雪の人差し指と中指が目標を指す。

指輪から放たれた銀糸が絡み付き、敵の首と胴が離れる。

だが敵もそう甘くはなかった。

「惜しかったな小娘」

糸に捉われる前に変わり身を使い、背後から雪の首筋にクナイをあてがう。

「油断していたとはいえ、あの一瞬で7人を殺るか・・・末恐ろしいガキだな」

男は仲間の屍を見渡して、感心したように言った。

「個人的には殺したくないんだが、こっちも任務なんでな・・・・・・・・・まぁ運が悪かったと諦めてくれ」

「・・・・・・!」

クナイがゆっくりと横に引くかれ、雪は死を覚悟した。

「ぐぁッ!!」

「!!」

だが突如として、男の手に手裏剣が突き刺さる。

雪は一瞬驚いた表情を浮かべたが、滑り落ちたクナイを空中で拾い、男のわき腹に突き立てた。

「か・・・は・・・」

吐血を顔に浴びながら、柄に掌を当てて鉄の刃を更に深く押し込む。

男は短く痙攣して、前のめりに崩れ落ちた。

「ハァ・・・・・・ハァ・・・・・・ハァ・・・・・・」

命の危機を脱した雪は、精神的疲労から全身に汗を掻いていた。

それでも現状を確認する為、手裏剣の飛んで来た方に顔を向けた。

「うっ!?」

・・・・・・向けたのは良かったが、生まれてこの方変化した例がなかった鉄面皮が、顔の筋肉の限界に挑戦するかの如く盛大に引き攣った。

雪だけでなく、残っていた敵も固まっていた。

手裏剣を投げたと推測される人物は、枯れた樹の天辺に立つ十代半ばの活発そうな少年。

雪の脳がどうにか許容できたのはそこまでで、後は全部ひっくるめて拒絶したかった。

少年の風貌は、どう頑張っても場にそぐわないものだ。

寸分の狂い無く2cmジャストで切り揃えられた坊主頭に、虚無僧のような黒装束。

数珠でも持って読経しようものなら、今日辺り仏門に入る事をお勧めしたい。

とにかく、明らかに就職先を間違えたような男だった。

少年は自信満々でグッ! と親指を立てて真っ白な歯を光らせると、瞬身の術で樹上から姿を消した。

「!! (速い!!)」

雪が息を呑む間に、少年は全てを終わらせていた。

残像を追うのがやっとスピードで、複数の敵をほぼ同時に吹き飛ばす。

鈍い打撃音によって、辛うじて体術を使ったと推測出来たが、動きそのものはまるで見えなかった。

地面に叩き付けられた者達は、ピクリとも動かない。

見た目はアレだが実力は確かだった。

残心を終え立ち上がった少年は、穏やかな表情で雪に振り返った。

先程とは打って変わって大人びた雰囲気に、胸がドキドキする雪。

頬が熱を帯び、まともに目を合わせる事が出来ない。

こんな経験は生まれて初めてだった。

―・・・何か・・・変な感じ・・・。

自分でもよく分からない奇妙な感覚に、雪は思わず顔を伏せる。

それでも少年の事が気になり、少しだけ顔を上げてみた。

「いぇい!」

少年はバチコーン!とウインクしていた。

何もかも台無し。

「・・・・・・・・・・・・」

雪は何故か、遣り切れない怒りを覚えたのであった。









―後方支援部隊・野営本部―

一時は絶体絶命の窮地に立たされた新人部隊だが、雪の獅子奮迅の働きと突如現れた少年の援護により、なんとか任務を果たす事が出来た。

上忍達はけして浅くない傷を負っていたが、幸い死者は出なかった。

同部隊の者達が手当てを受ける簡易救護室の陣幕の入り口で、雪は助けに来てくれた少年に深々と頭を下げていた。

「助けていただいてありがとうございました」

「いやいや、礼には及ばないよ。
 先日、自軍の情報を外部に洩らした不埒者を捕まえてね。
 かる〜くなぶってやったら、君達が使う補給ルートを洩らしたって事が分かったんだ。
 それで慌てて援軍に向ってみたら、可憐な少女がたった独りで戦ってるじゃないか。
 ナイスガイな私としては、見過ごすワケにはいかなかったのさ!
 あ、ちなみに私は【白波 クジラ】。 追い忍部隊に所属している14歳だ! ちなみに先月上忍になった!」

自己紹介にいらんプロフィールまで付け加え、顎に手を添えてハイテンションで語るクジラ。

雪はまだムカついているのか、若干冷たい視線を向けている。

しかしクジラは気付いた様子もなく、怒涛の勢いで喋り続けた。

「愛と正義をこよなく愛するナイスガイだが、何故か彼女居ない暦14年なのだ。
 いやはや、世の中には天地の理から外れた不思議な事があるものだ。
 きっと女性達は恥ずかしがって、声を掛けられずにいるんだろうな・・・。
 うん、けして私がモテないとか、そうゆーワケではないんだ。 誤解しないでくれよ?
 したがって現在彼進行形で女募集中だ! どうだいお嬢ちゃん?
 将来私のステディになってみる気は・・・おっと! お嬢ちゃんにはまだまだ早かったな。
 いや、照れなくてもいい。 こんな少女のハートをキュンキュンゆわせるなんて、私も罪な事をしてしまった。
 ハハ、家の里はシャイな女性が多くて困るよ。 ついこの間も「【睦月 雪】、下忍です」・・・・・・・・・・・・・・・(汗)」

放っておくと何時間も付き合わされそうなので、セリフに割り込んで強制的に黙らせる。

クジラは追い忍の中でも割と優秀な方だが、たった10歳の少女に気圧されて全身から嫌な汗が滲み出ていた。

やや口元が引き攣っているクジラに対し、雪は絶対零度の無表情を貫き通す。

常人には耐え難い痛々しい空気が場に満ちた。

やがて持ち堪えられなくなったクジラは、咳払いをした後話題を変えた。

「ま、まぁなんだ。 君はよくやってくれたよお嬢ちゃん。 お陰で随分仕事がやり易かった」

「いえ、お礼を言うのは私の方です。 あなたの助けが入らなかったら、確実に殺されていました・・・」

雪は今になって震えが来た。

人を殺したのは今日が初めてだった。

鋼糸で血管を裂いた生々しい手応え。

クナイで筋肉を掻き分けた嫌な感触。

暫くは悪夢にうなされそうだ。

「どうした、お嬢ちゃん?」

顔色の悪い雪に、クジラが首を傾げる。

だがすぐに理由を察し、驚愕の表情を浮かべた。

「まさか・・・実戦はアレが初めてなのか?」

「・・・・・・はい」

「嘘・・・だろ・・・!?」

雪の戦闘技術・・・特に鋼糸の技法に関しては、上忍であるクジラですら舌を巻くものがあった。

更に特筆すべきは、戦況を見極める洞察力 ・ 最善の一手を導き出す判断力 ・ それを実行する決断力。

それらは場数を踏んだ忍でなければ、決して身に着ける事が出来ないものだ。

「殺さないと殺される・・・そう思って、無我夢中で・・・・・・」

あの時、体が自然に動いた。

何万回、あるいは何十万回。

幾度も幾度も、一日も欠かす事無く、磨き上げた業。

体に・・・血・・・細胞に、何度も染み込ませた業。

一族の能力を血に宿せず、忌み子と蔑まれてきた少女の意地。

出来損ないの身で、一族の誰よりも強くなろうと誓った少女の意地。

結果として、本能に刷り込まれた業が敵の命を散らし、魂に根付いた強固な意志が恐怖を払った。

そして、間近に迫った死を退ける力となったのだ。

「・・・・・・もう・・・・・・いい・・・」

「!」

クジラは瞼を閉ざし、雪の頭に手を置いた。

霧の忍である以上、睦月の名は耳にしている。

目の前の少女が、冷え切った視線の中で生きてきた事も容易に想像出来た。

先程救った筈の仲間達も、顔を強張らせ不快な空気を漂わせていた。

そして雪の担当上忍までもが、含みのある視線を向けていたのを、クジラは見逃さなかった。

「もう何も言わなくていい・・・・・・だから泣くな・・・」

「・・・何を・・・」

言い掛けて、雪は気付いた。

自分の頬に光の筋が伝っている事を。

堰を切ったように、今日まで心の奥底に閉じ込めてきた感情が溢れ出した。

頭を撫でるクジラの手を払い、泣き顔を見せないように背を向ける。

そして声を殺して泣いていた。









―一週間後―

里を一望出来る丘の頂上に建てられた、古ぼけ・・・・・・歴史を感じさせる寺。

今日は貴重な休日だというのに、自分は一体何をしているんだろうか。

雪はそんな想いを胸に抱きながら、かれこれ2時間近くも石段を登っていた。

「ハァ・・・ハァ・・・ハァ・・・」

やっとの思いで目的地に到着し、馬鹿でかい木造の門前に力なく座り込んだ。

額に張り付いた前髪を払い、一息入れる。

ここに辿り着くまでに、体力も気力も費やしてしまった。

帰りの事を考えると余計にしんどい。

だがダラダラと不満を言える相手も居ないので、暫く休憩してから重くなった腰を上げた。

「ごめんくださーい!」

門の脇にある戸を叩く。

返事がなかったので少し待ってみたが、人が来る気配はない。

「(聞こえなかったのかな?) ごめんくださーい!!」

声を大きくして、再度呼んでみる。

すると、今度は人が来た。

戸を開けてくれたのは、人の良さそうな青年だった。

頭から眩い輝きを放っているので、おそらくはこの寺の関係者だろう。

雪は独断と偏見で決め付けた。

ありがたい後光を背負った青年は、膝を曲げて顔の高さを合わせると仏のような微笑みを見せる。

「こんにちはお嬢さん。 ご用向きは何でしょう?」

「こ、こんにちは。 あの・・・私、睦月 雪と申します」

「おや、これはご丁寧に。 礼儀正しいお嬢さんですね」

後光以上に頭部が発する光が眩しくて、ちょっとだけ目を細める雪。

「えっと・・・こちらに・・・・・・クジラさんという方はいらっしゃるでしょうか?」

クジラの名が出た途端、仏の表情が崩れ去った。

青年は出来損ないの仁王のようなクドイ顔で固まり、後光の代わりにとてつもない闇を背負い込む。

「もしもし・・・だいじょ「住職ー! 住職―――!! 一大事ですぞ―――――!!!」

大分引き気味で声を掛けた雪を無視し、大慌てで中へ走って行く。

すぐにダダダダダッ!と物々しい足音が聞こえ、山吹色の袈裟を着た初老の男性が出て来た。

十中八九彼が住職なのだろうが、今の姿を見る限り、徳を積んだ坊さんかどうかは怪しいものだ。

住職は雪を視界に納めたと同時に、ダッシュ→スライディング→土下座の3連コンボを披露した。

「申し訳ないッ!!」

「??」

何故謝るのか分からないが、住職の具合が心配である。

額からの出血で顔が真っ赤にペイントされていた。

砂利の地面に前頭部でブレーキを掛けたのだから、当然といえば当然の結果だ。

「あのバカ息子があなた様にどのようなご迷惑をお掛けしたかは存じませぬが、なにとぞご容赦をッ!!!
 償いは手前の命代えても必ずや果たすとお約束いたします!! ですから平にっ! 平にィィィィっ!!!」

血と汗と涙と鼻水と涎を撒き散らしながら、本気で詰腹を切ろうとする住職。

彼の名は【白波 シャチ】・・・・・・クジラのお父つぁんである。

「住職!! 早まってはなりません!!」

「ええい放せ! 放してくれ!! このままではそちらのお嬢さんと、白波家のご先祖様に顔向けが出来ぬ!!」

腹に狙いを定めた短刀が、拮抗する力によってプルプルと震えている。

非常に声を掛け辛い。

てか、係わり合いになりたくない。

「・・・・・・・・・」

しかし、今日ここに来た目的を果たす為に、避けては通れない関門。

「・・・あの・・・」

雪がどうにか言葉を搾り出すと、短刀の震えがピタリと止まる。

「先日クジラさんに助けていただいたので、そのお礼をしに参りました」

目的を告げて頭を下げつつ、持参した茶菓子の包みを差し出す。

「なんと!! き、聞きましたか住職!? クジラ殿が・・・!! あのクジラ殿が、人助けを!!!」

「しかと聞いたぞ!! まっこと信じ難い奇跡だ!!
 あのどうしようもないボンクラが、人に感謝される日が来るとは!!!」

「住職の願いが天に届いたのですよ!! くぅ・・・私も嬉しゅうございます!」

「・・・飲もう! 今夜はとことん飲み明かそう!! 決めた! 今日は死人が出ても読経はせん!!!」

「よろしいのですか? 酒は医者から止められているのでしょう?」

「今日ぐらい・・・今日ぐらいはいいだろう! ワシはもう思い残す事はない!!」

肩を組んで涙を流すハゲが2匹。

クジラに対して複雑な感情があるようだ。

まぁそれはどうでもいいから、早く受け取って下さい。

そして帰らせて下さい。

これ以上この人達と係わりをもってしまったら、自分が自分でなくなりそうで怖い。

見たくもない光景を強制的に見せ付けられ、雪は肩に圧し掛かる重力が倍になった気がした。









板張りの床をギチギチと鳴らしながら、シャチの後ろを着いて歩く雪。

早く帰りたいのは山々だったが、本人に礼の一言もなしに帰るのは流石にどうかと思い、寺の中へ入れてもらった。

「ハハハ・・・先程はどうも、見苦しい所をお見せしました」

「いえ、別に」

雪は表情を崩さないように勤めているが、血で赤黒く染まった手拭に視線が釘付けになっている。

シャチの頭部は相当深く抉れている筈だが、何事も無かったかのようにケロッとしていた。

「息子はそこの角を突き当たって左にある仏殿におります。 何もお構いできませんが、どうぞゆっくりしていって下さい」

「ありがとうございます。 でもすぐにお暇させていただきますから、お構いなく」

雪はお辞儀をしてシャチと別れ、仏殿に方に歩いていく。

そして戸を開け・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・硬直した。

中に居たクジラは、雪以上に硬直していた。

いや、硬直なんてレベルを遥かに超越して、最早石化している。

「なにをしているんですか、あなたは・・・!」

雪は真っ赤になった顔を伏せて、プルプルと震えた。

床に寝そべっていたクジラは急いで跳ね起きると、熟読していた本を大慌てで背後に隠す。

ただし若干前屈みになっているので、どんな本を読んでいたのかは自ずと知れた。

「はわわわわっ! な、何で君が家に居るんだ!?
 てゆーかなんだって急に開けるんだ!! 私は御勤めの最中だったんだぞ!!!」

ブチッ!!

真顔で大嘘を吐いただけでなく、逆ギレさえかましてくる生臭坊主に、頭の血管が2〜3本は切れた。

「脇にティッシュの箱を備えて横になっていながら、あくまで御勤めと言い張るつもりですか?」

「そ、それは・・・その・・・あれだ・・・・・・そう! 宗派の違いってやつだ! 私のとこはこれが正しいスタイルなんだ!!」

そんな奇天烈な宗派があってたまるか。

一度医者に診てもらえ。 もしくは、生まれ変わって出直して来い。

という至極もっともなコメントが飛び出しそうになった。

だがその程度で終わらせてやる程、今の雪は甘くない。

どうせなら徹底的に凹ましてやろうと、

「ほぉ・・・ならば今後ろに隠したのは経典というワケですか」

「え!? あ、うん・・・・・・まぁそうだな・・・」

「では、後学の為に是非とも拝見させていただきたい」

「う・・・え゛!?」

一度希望をちらつかせておいて、改めて叩き潰してやった。

「もしくは、内容を高らかに音読していただきましょうか」

「い、いや・・・それはちょっと・・・」

「出来ないんですか?」

少しも表情を動かさず、精神的に追い詰める。

クジラはダラダラと脂汗を流し、半ベソを掻きそうになった。

「・・・あ・・・」

「あ?」

「『あ、あん・・・先生やめて・・・人が来ちゃう・・・』」

「ッッッ!!」

が、すぐに開き直りやがった。

ニヤニヤと笑いながら、紅くなる雪の反応を楽しんでいる。

「アカデミーの一室に、ノリコの弱々しい声が・・・グハッ!!」

「なに本気で読んでるんですか!!!」

「き、君がやれって言ったんじゃないか・・・」

「常識で考えたら判るでしょうが!!」

雪は拳から白煙を立ち上らせながら、床に這い蹲るクジラを睨み付ける。

「お茶をお持ちしましたぞ・・・・・・」

「げ! 親父・・・」

丁度そこへ、クジラにとって最も嫌な人が現れた。

シャチはその場の空気を瞬時に読み取り、殺人鬼も命乞いをしそうな顔付きになった。

「・・・・・・貴様という奴は・・・」

「あちっ! あちゃちゃちゃちゃちゃッ!!!」

倒れていた息子を踏み付け、淹れたばかりの茶を首筋にたっぷりと注いでやる。

クジラが切り離されたトカゲの尻尾のようにのたうっても、一向に止める気配がない。

煮えたぎる熱湯とは対照的に、パパの眼は冷え切っている。

「・・・・・・神聖な仏堂でいかがわしい書物を読み腐りおって・・・この罰当たりが・・・!」

「せ・・・背骨が・・・・・・背骨が折れる・・・!!」

熱湯責めからシンプルな責めに移行。

手加減抜きのキャメルクラッチで背骨が軋んでます。









シャチの拷問は30分にも及んだ。

一応は許してもらったクジラは、反省の意味合いを兼ねて、正座した両足と背中で組まされた両手を縄でガチガチに固定され、細かく溝が付けられたパパ特製の敷物に座らされ、腿の上に20kgの重しを2つ程積まれていた。

その上自力で抜け出せないように、縄にはチャクラまで流し込んである。

「おい、いくらなんでもこれはやり過ぎだろう」

「それではお嬢さん。 このバカが何か妙なマネをいたしたましたら、躊躇わずに石を積んでやって下さい」

「はい。 お気遣いありがとうございます」

「ねぇ・・・ちょっと」

「お帰りの際にはワシに一声掛けて下さい。 是非ともお見送りさせていただきたいので」

「分かりました、その時は必ず」

雪とシャチはクジラの嘆きをキレイに無視し、互いに笑顔を見せ合う。

2人ともすっかり意気投合したようだ。

「・・・クジラ・・・・・・くれぐれも粗相のないように心掛けておけ。
 ・・・もしこれ以上家の評判を落としてみろ・・・・・・体中の毛を引き毟って毛根を焼き潰すからな」

パピーは去り際に一言呟いていく。

あんまり眼がマジだったので、クジラは蒼い顔でガクガクと頷いた。

「ステキなお父様をお持ちですね」

雪は茶を啜りながら、満足そうな顔をする。

「欲しかったら持ってっていいから、コレを解いてもらえないか?」

「お茶も美味しいし、なんだか帰りたくなくなってきちゃったな」

クジラは足の感覚がなくなりつつあるのだが、雪は『そんな事は知らん』 とばかりに無視を決め込んでいる。

「いや、お嬢ちゃん・・・・・・私の話聞いてる?」

「それにしても、あれですね。 僧侶みたいな格好をしていると思ったら・・・・・・本当にお寺の息子だったんですね」

「・・・あの・・・もしもし・・・」

冷たくあしらわれながらも、めげずにトライする。

「クジラさん結構有名な人なんですね。 名前を聞いたらすぐに住所が分かったので、探す手間が省けました」

「・・・・・・・・・・・・」

「あ、その水羊羹私が持ってきたんですけど、甘さが控えめでとってもおいしいですよ。 試しに一つ召し上がってみたらいかがですか?」

「(この状態でどうやって食べろと?) ・・・・・・私が悪かった・・・頼むからもう勘弁してくれ・・・」

結構粘ってはみたものの、結局クジラの精神は根元からポッキリと折れた。

年下の少女相手に、覆せない主従関係を作り上げてしまった瞬間だった。

「ふぅ・・・まぁ多少は反省しているようなので、意地悪するのは止めにします」

「でも縄は解いてくれないんだね・・・」

「不満があるのでしたら、重りを増やして差し上げましょうか?」

うっかり口を滑らせてしまい、雪が殺し屋のような眼付きになる。

「・・・・・・いえ、謹んで辞退させてもらいます」

流石に洒落にならない。

間違って足の骨でも逝ってしまえば、明日からの任務にも支障をきたしてしまう。

クジラは丁重にお断りしたが、その時、ちょっと残念そうな顔が見えたので背筋が寒くなる思いをした。

「まぁ冗談はここまでにして、そろそろ本題に入らせてもらいます」

「そうそう、私もそれが気になってたんだ。 ・・・君、そもそも何しに来たの?」

と尋ねると、一枚の紙切れを突き付けられる。

「これに見覚えがある筈です」

「ん〜・・・なになに・・・。
 『下忍 【睦月 雪】。 以上一名、能力優秀者につき、医療部隊へ転属』・・・?
 おお! 下忍で医療部隊に配属されるなんて大出世じゃないか! いや〜おめでとう!!」

「白々しい芝居は止めなさい」

「いだだだだっ!!!」

クジラの腿の上に、追加の重りが落下する。

「続きを読んでいただけますか?」

雪は重りを踏み付ける足の上に肘を乗せ、言葉に怒気を混ぜて覗き込む。

「じょ・・・上忍・・・白波クジラの名を以って推薦する」

「何故、推薦者があなたになっているんですか?」

輸送任務の終了後、里に戻った雪は所属していた班から外され、医療部隊への転属を命じられた。

突然すぎる人事だったが、別段不満はない・・・・・・・・・・・・・・・ないのだが。

「と言うより、何故私を推薦したのです?」

どうしても、クジラの考えが知りたかった。

誰もが疎んじるような自分と、何故係わりを持とうとするのか。

血継限界の一族と分かっていながら、何故親切にしてくれるのか。

何より、彼に自分がどう思われているのか。

推薦状にクジラの名を見付けた時から、気になって気になって仕方がなかった。

「な、何故と言われても・・・」

そんな雪の想いなど露知らず、クジラは恐怖に顔を引き攣らせながら、

「将来美人になりそうな女の子に、今の内に唾付けとこうと」

『思って』 と言いかけたが、強烈なビンタをもらって気絶した。

「・・・こ・・・こんな男に・・・ドギマギしてる私って一体・・・」

荒い息を吐きながら、怒りに震える雪だった。







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